トレーナー 阿部弘幸
元日本ミニマム級チャンピオン(第17代)WBC世界ミニマム級9位
イーグル京和のフィジカルトレーナー
選手達からも気軽に話しやすい存在
コラム伯楽業
ボクサーからトレーナーへ転身する例は多い。選手を指導する上で現役時代の経験が決して無駄にはならないというのもその一つの理由だろう。 例えば、大きな試合を控えた選手の心境などは、そのまま自らの過去と照らし合わせることができ、選手としての経験は直接トレーナーの大きな糧となるのだ。
阿部弘幸氏は現在35歳、角海老宝石ボクシングジムの中では新人トレーナーだが、ミニマム級の元日本王者という輝かしいボクシングキャリアを持つ希有な人材だ。小川利樹選手(ミニマム級6位)、斉藤直人選手(ライトフライ級)、竹下隆之選手(スーパーバンタム級)ら若手を中心に担当している。
「現役時代の経験は当然今でも活きてます。選手の気持ちはよく分かるし、また選手だったからこそトレーナーの存在がどれだけ重要か理解できる。僕が出会ったトレーナーたちの指導法を取り入れたりして、今は試行錯誤しながらやってますよ」
その穏やかな人柄から選手の間でも親しまれている阿部氏。
ジムで選手を指導する傍ら、WBC世界ミニマム級王者・イーグル京和選手のフィジカルマネージャーも務め、多忙な日々を送っている。
「デン(イーグルの本名)はちょっと格が違いますね。パンチの打ち方、間合いなどすべてが独特で。僕は現役の頃から階級が同じだったんで、よく一緒にスパーリングをしてたんですよ。だからその流れでマネージャーをしてるんですが、一流ボクサーである彼のそばにいられることは、トレーナーとしても本当に良い勉強になってます」
今でこそ、裏方に徹している阿部氏だが、現役の頃はスピードを武器にしたボクサースタイルで、粘り強くガッツのあるファイトで鳴らした軽量級の名選手。
阿部氏は「僕はプロデビューが24歳だからこの世界では遅いスタートなんですよ」と笑いながら自らのボクシング人生を振り返ってくれた。
岩手県山田町で生まれ育ち、兄が自衛官だったことから高校卒業後は航空自衛隊に入隊。しかし、元来団体行動が苦手な阿部氏は「上下関係や組織の規律を重んじる自衛隊の生活にはなじめなかった」と家族の反対を押し切って2年後に除隊する。そして20歳の時に上京。都内のガソリンスタンドで正社員として働く生活を送る中で、ボクシングに出会った。
「子供の頃から格闘技は好きだったんですよ。うちの叔父がよくボクシングやプロレスをテレビで見てて、その影響かな。岩手の頃は近くにジムもないし、考えもしなかったんですけど、東京に出てきたら近くにジムがあって。それで気軽な気持ちでボクシングを始めたんですよ」
入門後に早速スパーリングをやらされた。相手はプロのボクサー。「思い切り打っていいよ」と言われ、意気込んで挑んだが、どうやってもパンチが当たらない。
「もう悔しくて悔しくて。すぐ目の前にいる相手にパンチがかすりもしないんだから。これはそんな甘い世界じゃないと思って、真面目に練習するようになりました」
子供の頃から野球やサッカーなど団体スポーツが苦手だったという阿部氏は、究極の個人競技とも言うべきボクシングの魅力に次第にのめり込み、自然と「プロ」という道を考えるようになった。より環境の整った大きなジムを求め、大塚にある角海老宝石ボクシングジムに入門、「徐々に自分が強くなるのが分かるし、面白くて仕方がなかった」と阿部氏。1年間の練習生を経てプロテストにも無事合格し、順調にキャリアのスタートを切ったかに見えたその矢先、プロの洗礼を受けることになる。
「デビュー戦は突然決まったんです。1週間後の試合にキャンセルが出て、『誰かやる奴いないか』ってことで僕が手を挙げた。それもトレーナーに相談もせずに。ほんと強くなったつもりでいたんでしょうね、ジャブをよけるくらいしかできないのに。リングに上がったらガチガチで、結果は見事1回KO負けでした」
しかし、振り返ってみればプロの厳しさを知る良い経験になった、と阿部氏は言う。
これをきっかけに練習にもいっそう力が入るようになった。高校時代は陸上部で長距離走者だったためロードワークも苦ではなく、デビューが24歳とこの世界では遅咲きだったが、その分、危機感もあり遊びに走ることもなかった。またその頃、角海老ジムでは数多くの世界王者を育てたキューバの元ナショナルコーチ、イスマエル・サラス氏がトレーナーとして指導していた。
「サラスにはゼロからボクシングを教わりました。何人かをまとめて合同指導するんですけど、基礎を徹底的に反復する。まるで毎日が合宿ですよ。厳しかったけど、選手を盛り上げるのもうまい。自分がトレーナーになった今、サラスの指導法を思い出して参考にすることがよくあります」
初めてのタイトル挑戦は13戦目。鈴木誠選手と空位の日本タイトルを争ったが、判定負けを喫する。その後、19戦目で暫定王者となっていた阿部氏は、正王者・鈴木選手と再度戦い、6回負傷判定で見事リベンジを果たして勝利、ついに日本タイトルを獲得した。31歳だった。
「やっぱり嬉しかったですよ。自分の中では最低ラインの目標をクリアしたわけですから。地元でニュースになったりして、達成感も安堵感もありましたね」
ところが喜びも束の間、2度目の防衛戦でミニマム級現日本王者である小熊坂諭選手と対戦するも判定負け、半年で王座陥落する。阿部氏は当時の心境をこう述懐する。
「試合は5、6ポイントの大差で負けました。全く自分の思う通りのボクシングが出来なくて……。100%の実力が見せられないということは、応援してくれてる方たちに失礼なことだと思ったんです。だったらこれ以上続ける意味がない、即引退を決めました」
こうして約10年の選手生活にピリオドを打った阿部氏に角海老ジムの田中栄民チーフトレーナーはこう声をかけたという。 「トレーナーやれば」
引退後、休養を兼ねて阿部氏は半年間考えた末、田中氏の誘いを受け指導者になる決意をする。
「ほかの仕事も考えましたが、やっぱりボクシングが好きなんでしょうね。僕は昔から飽きっぽい性格で、そういえば今までの人生の中で、ここまでひとつの事に打ち込んだのはボクシングぐらいなんですよね。選手では自分が納得できるところまでやったから、今度はチャンピオンを育ててみようって。トレーナーは縁の下の力持ち、目立つのは選手だけでいいんです。とにかく怪我をさせないように。後はそれぞれの良い部分を伸ばしてあげて、試合に勝たせてあげることが今の僕の仕事ですね」
プライベートでも2005年11月22日には妻暢子さんとの間に待望の第一子・長男の至恩ちゃんが生まれたばかり。公私共々充実した中で、「チャンピオンを作る」という新たな夢に向かって阿部氏は第二のボクシング人生を着実に歩み始めている。
[取材・文:野口弘宜]


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