トレーナー  フセイン・シャー

パキスタン史上初のオリンピック銅メダリスト
(1988年ソウルオリンピックボクシングミドル級)
坂本博之選手のトレーニングパートナーを担当
『ヘイ!ベイビー!』と誰にでもフレンドりー

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コラム伯楽業

  角海老宝石ジムの興行に足を運んだことがある人なら一度は見かけたことがあるはず、 リングサイドで奇声を張り上げ、観客の応援を身振り手振りで煽るやたら陽気な大男の姿を。

 彼の名はフセイン・シャー。パキスタン南部に位置する同国最大の都市・カラチ出身の41歳。 角海老ジムのトレーナーとして来日して約10年、長年坂本博之選手のトレーナーを務め、 片言の日本語を駆使しながら多くの選手のミットを持っている。  シャーは誰もが認める角海老の名物トレーナーであり、その人なつっこい愛嬌のある性格から、 ムードメーカーとしてもジムには欠かせない人物なのだ。
 推定190センチ、110キロ、その巨漢ぶりからはなかなか想像が付かないかもしれないが、24歳の時、 1988年のソウルオリンピックにボクシングミドル級の代表選手として出場、パキスタン初のオリンピックメダリストとなる銅メダルを受賞した輝かしい経歴の持ち主でもある。

 取材場所に現れたシャーは開口一番、
「ボクのキャリアの大半はアマチュア。120戦して7回しか負けてないよ。19歳でパキスタンの全国大会で初めて優勝してから、アジアを中心に国際大会で10回近くは金メダルを取ったね。オリンピックの時はすごかったよ、国中がお祝いしてくれて、今でも建国記念日には東京の大使館にも呼ばれて式典に出席してるんだよ。今はこんなデブだけど、昔はそれはそれはすごいボクサーだったんだから」
と屈託のない笑顔を浮かべて茶目っ気たっぷりに胸を張る。
 120戦して7敗というキャリアにも驚きだが、 「でもそれはオフィシャルな話。記録に残らない試合は数え切れないほどやったね」と話す。

 シャーがボクシングを始めた理由はその生い立ちにある。
「ボクが育ったところはカラチで一番大きなスラムだった。4歳か5歳の時に母親が死んでしまって、しかも親父が再婚した新しい母親とうまく行かずに家を追い出されちゃった。だから子供の頃からずっと路上で生活してた。学校は一度も行ったことがないし、ゴミの山の中から鉄を探してそれをクズ鉄屋に売ることでなんとか生活してたんだよ。 喧嘩や強盗はしょっちゅうあるし、すごく治安が悪い。ボクには兄妹がいなかったからそこで生きてくためにはタフじゃなきゃいけない。それで10歳ぐらいの時にボクシングを始めたんだけど、試合は2週間に1回くらいのペースでやるから、実際何戦したかっていうのは正直分からないんだね」
普段は冗談が好きな脳天気なシャーなのだが、その背景には日本では想像が付かないような途上国特有の現実がある。シャーによれば、生まれ育ったスラム地区にはたくさんのボクシングジムがあったという。 それは、スラムで生き抜くために拳の強さが求められるのと同時に、ボクシングが厳しい生活の中で唯一のエンターテインメントとして根付いているからだとシャーは言う。  だが、いくらボクシングが根付いていても、そこはボクサーにとっ てボクシングに集中できる環境とは言えない。
「路上にロープを張っただけのリングで戦うだけ、もちろんバンデージなんてないし、グローブはものすごく薄いんだよ。そんな中でボクはずっとボクシングをやってたんだ。15歳くらいかな、ボクシングを真面目にやるようになったのは。だんだん強くなってきて、地元の鉄道会社がスポンサーになってくれて、アマチュアの試合に出るようになったんだ」
 そんな路上のリングの中でシャーはメキメキと頭角を現し、数々の国際大会を連覇、ついにはパキスタン最強のアマチュアボクサーに成長する。オリンピックでメダリストになったことから国からは英雄として称えられ、2軒の家と土地を提供され、スラムからも抜け出すことができた。まさにボクシングが生んだサクセスストーリーである。

 その後シャーはスーパーミドル級のプロボクサーとして海を渡り、アメリカで1年間、イギリスで2年間を過ごした。戦績は4勝2敗で終わったが、イギリスでは元世界ヘビー級王者のあのレノックス・ルイスと同じジムでトレーニングしたという。
「レノックス・ルイスは強かったねえ。一緒に練習ができたのは良い経験だった。でもやっぱり自分はずっとアマチュアの3分3ラウンドに慣れてたから、プロは難しかったな」
と振り返る。
 引退後は帰国して悠々と暮らしていたが、ひょんなことから角海老ジムと出会うことになる。
「たまたま10年ぶりに連絡が取れた友人が東京にいて、それで観光に行くことになったんだね。友人が下町を案内してくれた後、角海老のジムの前を通りかかったんだ。おお、ボクシングジムがあるじゃないかってことで少し見学したら鈴木会長がいて、それで自分の事を話したら『だったらうちでトレーナーやらないか』って話になっちゃった」  偶然が重なり合って日本でトレーナーとして生活することがとんとん拍子で決まった。なんとも運命的と言うべきなのか。
シャーは語る。
「もしボクシングがなければ、たぶんボクはマフィアにでもなってたと思う。それと角海老ジムには心の底から感謝してる。角海老ジムとの出会いがなければ、今のボクはないから。ボクの妻と息子3人が何不自由なく今こうして暮らせている。それはすごく幸せなこと。息子たちにボクが経験したような思いはさせたくないからね。だからボクは全力でこのジムに恩返しがしたいと思ってるよ」
 試合会場で懸命になってシャーが選手を応援するのも、そうした気持ちの裏返しなのだろう。そんなことを考えながら取材を終えようとすると、シャーが突然ため息をついてうなだれる。
「でも最近は試合が近い選手が多すぎて疲れたよ。ミット、ガンガン打たれてる。ああ、今日もこれから本望のミット持たなきゃいけない。もうボクは死んじゃうかもしれない」
そう言ってシャーは大きな体をゆっさゆっさと揺らしながらジムへと戻っていった。まったくもって愛すべきキャラクターの持ち主、我らがシャーなのである。
[取材・文:野口弘宜]

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