トレーナー  佐藤直樹

元東日本新人王決勝戦出場ボクサー
糸川マネージャーの物まねがうまい
面白キャラだけど、プライドが高く、時には厳しい
現役時代との体重差が激しいがこの頃元に戻ってきたかも...

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コラム伯楽業

  ボクシングの酸いも甘いも知り尽くした老獪なベテラン指導者。トレーナーと聞くと、そんなイメージを抱く人が多いのではないだろうか。けれども、それ はあながち間違いではない。どんなスポーツでもそうだが、指導者とはその競技における様々な知識やノウハウ、加えて選手のモチベーションを高めるための人心掌握の術など、やはり年を重ねただけの経験がモノを言う世界でもあるからだ。 しかし、角海老宝石ボクシングジムには20代半ばから指導者への道を歩み始めた青年がいる。

 佐藤直樹氏は現在29歳、ジムでは最年少のトレーナーである。新人とはいえ、キャリアはすでに5年。  もちろん夢は 「この手でチャンピオンを育てること」だ。
「言われてみると最年少になりますかね。まあ、選手と年が近いこともあって共通の話題もあるから馬鹿話ができたり、選手とコミュニケーションを図る上では、『若さ』が武器になるってこともありますけど……。トレーナーとしてはまだまだ経験不足ですね」
佐藤氏はそう言って笑う。
 今ではだいぶ恰幅も良いが、実は東日本新人王の決勝まで進んだこともあるライトフライ級のプロボクサーだった。地元・山口県で高校入学と同時にボクシングを始め、卒業後には有名私大など3校から大学推薦入学の誘いがあったが、それを蹴って上京し、角海老ジムに入門した。それだけボクシングにのめり込んでいた佐藤氏が、志半ばで現役を引退したのにはやむにやまれぬ事情があった。 有名無名を問わず数々のボクサーがグローブを壁にかける理由となった同様の病……。
「24歳の時に網膜剥離になりました。私生活で視界がぼやけてきて、もしやって思ったんですけど、恐いからほっておいて練習してたんです。でもスパー中に相手が二重にも三重にも見えてきて、もうやばいって思って医者に行ったら網膜剥離だって」

 プロボクシングの世界は片手間でできるほど甘いスポーツではない。減量と戦い、地道なトレーニングを積みながら、持っているすべてのエネルギーを費やして目の前の試合を一つずつクリアしていく。金や地位、名誉の前にボクシングが好きでなければ、ボクシングに対する情熱がなければこの道は厳しい。そんなボクシング界の中で、失明の危険性がある網膜剥離はボクサーにとって死刑宣告に近い。
 佐藤氏はその時の心境をこう語る。
「泣きましたよ、それは。大学まで蹴って高校の頃から積み上げてきたものがこれで、これで終わっちゃうのかって。今までなんだったんだろうって。悔しかったですよ」
手術をして入院中、ボクシングを辞めざるを得ないという辛い現実に打ちひしがれていた佐藤氏の元に、かつて自身も網膜剥離が原因でボクサーを引退、トレーナーへ転身した田中栄民チーフトレーナーが見舞いに来てくれた。
「田中さんに『どうすんだよ?』って聞かれて、『実家に戻って世話になったジムでのんびりトレーナーでもやりますよ』ってなんとなく答えたんですよ。そしたら田中さんが『だったらうちでやれ』って誘ってくれたんです。その時は正直トレーナーという職業の面白さとかよく分からなかったんです。結局やるのはボクサーだし、他人が勝って何が嬉しいのかなあ、とか。まあでも出たとこ勝負でやってみるか、みたいな気持ちもあって、とりあえず退院したら実家にも帰らず、まずジムに顔出してましたね」 青春時代から情熱をかたむけてきたボクシングとの縁をそう簡単に切 ることはできなかった。
 佐藤氏は退院後、今度はトレーナーとして角海 老ジムに迎え入れられ、多くの先輩たちの指導法を横目で見ながら学ぶ 中で、新しい仕事の面白さに気づいていく。
「元々、俺なら良い選手が作れるんじゃないかっていう根拠のない自信がなぜかあって(笑)。やっぱり自分の選手が勝つと嬉しくて、俺が戦ってるわけじゃないのに良いパンチが入ったりするとガッツポーズとか出ちゃったり。そうこうしてるうちに、だんだんトレーナーのやりがいってこういうことなんだって分かってきたんですよ。今はこの仕事が面白いかって聞かれたら、すぐに面白いって答えられますよ」

 初めは見習いから始めたトレーナー業も最近では結果も出てきた。プロ入りの頃から見てきたスーパーフェザー級の真栄城寿志選手は昨年、東日本新人王を獲って念願のランカー入りを成し遂げた。
「真栄城はホント馬鹿正直というか。やれって言ったことはずっとやってるんですけど、応用が利かないというか。こないだのイーグル(京和・現WBCミニマム級世界王者)の初防衛戦なんかを見ていると、やっぱり賢いんですよね。頭が良い。トップに立つ選手はそうした面も絶対必要だから、真栄城にもそういう応用の利くボクシングも覚えさせないと」
こと自分の選手の話になると熱が入る。その語り口はトレーナーそのものだ。
 最近、佐藤氏は「プロ意識」ということについて考えることが多いと言う。
「やはりプロというのはお客さんあっての商売だと思うんですよ。自分の仕事も良い選手を作って、その選手が良い試合をすればお客さんも入って、ひいてはボクシング界を盛り上げることにつながるわけじゃないですか。選手にもそうした意識を持ってやって欲しい。もちろん勝つことが一番大切なんですけど、試合を観に来てくれるお客さんがいるということは常に意識していないと」
シアトル・マリナーズで活躍する米メジャーリーグのイチロー選手は、昨年のシーズンで低迷するチームの中でひとり気を吐いた。 イチロー選手は
「優勝は無理だと分かっていてもスタジアムにはお客さんが来てくれる。ならば手を抜くわけにはいかないし、個の力でどれだけのパフォーマンスを見せられるのか、プロならばそれは常に意識しないといけない」 と語っていた。
 佐藤氏もそうした「プロ意識」を選手に持って欲しいと話す。
「例えば入場曲一つ選ぶにしても、自分が好きな曲を選ぶんじゃなくてお客さんが盛り上がるような曲を選ぶとか。 入場はどんな選手にも平等に与えられる自分だけの時間、だったらその時間内でお客さんが喜ぶパフォーマンスをすれば名前くらい覚えてくれるかもしれない。お金を取って試合を見せているんだってことを選手はもっと考えてもいいと思うんですよ。だから可哀想に思うところもありますよ」

 そのほかの格闘技と違って1度の負けがその後を左右するボクシングにとって勝負論はなにより。だが、それもすべてはお客さんあってのこと。こうした発想が出てくるのも佐藤氏が、若くして広い視野でボクシングを見られるトレーナーという職業に付いているからなのかもしれない。
 佐藤氏の今後の展望を聞いてみると、こう答えてくれた。
「振り返ってみれば、網膜剥離でボクサーを辞めたのもようやく前向きに考えられるようになりました。やはりこの先の人生も長いし、体を壊しては元も子もないですから。「ボクシング界で新しい生き甲斐を見つけられたというのは幸せなこと だし、何事も若いうちから始めることは大切だと思ってます。その点、 自分は20代でトレーナーという仕事を始めてるんで、将来は絶対 チャンピオンを作りたい。体が動く限りはトレーナーを続けたいですね」
と語る佐藤氏が将来、角海老を背負って立つ名トレーナーになる日もそう遠くないかもしれない。
[取材・文:野口弘宜]

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