トレーナー 田中栄民
1997年 エディタウンゼント賞 受賞
現在は本望・宮田・小堀・渡邉、他選手の
育成を手がけている
愛称:先生
フレンチブルドック『ルイス』と散歩が日課
何気にお洒落さん
コラム伯楽業
名選手の陰に名伯楽あり、とはスポーツの常である。厳しい減量と戦いながら2つの拳だけで勝負するボクシングの世界では、試合までにどれだけ心身共、最高の状態に仕上げられるかがリング上でのパフォーマンスを大きく左右する。ボクシングは決して選手だけでは戦えない。ボクサーの才能を見抜いて職人のようにその原石を丁寧に磨き、輝かせる仕事を担うのがトレーナーと呼ばれる人たちだ。
ボクサーからトレーナーへ新たな夢の始まり
角海老宝石ボクシングジムで選手、スタッフからただ1人「先生」と呼ばれるトレーナーがいる。チーフトレーナーを務める田中栄民(50)、その人である。
海老原博幸、ガッツ石松から井岡弘樹まで、6人の日本人世界王者を育てた故エディ・タウンゼント氏の栄誉を称え創設された、国内の年間最優秀トレーナーに贈られる「エディ・タウンゼント賞」を1997年に受賞した角海老きっての名伯楽。現在は日本スーパーフェザー級王者の本望信人をはじめ小堀佑介、渡邊一久、宮田芳憲らをメインに担当している。
「うーん、トレーナーの仕事を一言で説明すると……」
一瞬考え込んでから田中はこう言葉を続けた。
「虹を掴むような仕事、かな。掴んだと思っても掴めてない。たとえ世界を獲ったとしても今度は防衛とか、防衛が続けられたらじゃあもう1人育てようとか、選手と違って延々と続いてく息の長い作業。終わりはないよね」
山梨県出身。ボクシングとの出会いは16歳の時。ボクシングジムに通っていた中学時代の先輩に付き合って遊びでやり始めた。今でも独特の雰囲気がある田中だが、当時は地元でも名の知れた暴れん坊だったという。
「ヤンチャでしたよ。高校は1年足らずで辞めちゃって。喧嘩は自分で言うのもなんだけど強かった。だからそのボクサーの先輩とスパーリングをしても俺の方が強い。元々親父がボクシングが好きで家でもよくテレビで観てたもんだから、これなら俺でもやれるかもって思って本格的に始めたんですよ」 思い立ったら早かった。すぐに上京して都内のジムに通い始め、みるみるうちにボクサーとしての才能は花開く。上京から数カ月で東京都のアマチュアチャンピオンになり、全日本アマ社会人トーナメントでは決勝で判定負けを喫したが、結局アマチュアでは20戦近くやって負けたのはその1敗のみ。惜敗した相手は後の世界ジュニアフェザー級王者、ロイヤル小林だった。
その後プロに転向し、2戦2勝と滑り出しも好調。自分自身もジムも『さあこれから』という時に田中は突然の悲劇に見舞われる。18歳の冬、知り合いの引っ越しの手伝いで乗った車が事故を起こし、助手席に乗っていた田中も怪我をした。打撲程度の軽い怪我だと思っていたら2、3日して急に視界がぼやけてきた。網膜剥離だった。
「今思えばプロに転向した後、調子こいて遊んでばっかりだったからバチが当たったのかな。そりゃあその時はショックでしたよ。自暴自棄になっちゃって、山梨帰ってまたヤンチャな生活に見事逆戻り」
将来が期待されたボクサーだっただけに自暴自棄になるのも無理はない、その時の田中の心情は察するにあまりある。しかし、そのまま腐っていても人生は先に進まない。どうしてもボクシングが諦めきれなかった田中は、茨城県藤代にあった友人が所属する小島工芸ジムを訪ねる。それが現在の指導者の道へと進む足がかりになるとは田中自身も思っていなかった。
「ジムに遊びに行ったら、まあみんな練習してるわけです。自分はボクシングはできないけれども、曲がりなりにもそこそこ行ったボクサーだったから、選手にちょこちょこアドバイスしてた。その時はトレーナーになろうとは思っていなかったけど、選手たちが『有り難うございます!』って感謝してくるんだよね。あれ、なんだこれって。今まで人の役に立つような事はしなかったから、感謝されたり、尊敬されたりっていうことが新鮮で気持ち良くって、それでこういう道もあるのかなって思い始めた」
ボクサーがだめなら世界チャンピオンを俺が作ってみせる。トレーナーを真剣に志し始めた20歳の時に小島工芸ジムから選手、スタッフが大塚に新しくできた角海老宝石ボクシングジムに移籍することになった。角海老ジムでは新人王、世界ランカーを何人も送り出した。途中、都内の様々なジムを転々とした時期もあり、その間も日本王者を2人育ててエディ・タウンゼント賞も受賞、トレーナーとしてのキャリアを着実に積み上げていく。
終わりなきボクサーとの二人三脚
7年前、スタッフなど新体制を整備する際のチーフとして角海老ジムに帰ってきた。
「やっぱりここは自分のキャリアの出発点だから思い入れがある。日本チャンプはもう何人も作ったけど、まだ世界は獲ってないだんよね。どうにかして自分の手で世界チャンプを育てたい。そういう意味で本望には期待してる。よく走るし、トレーニングも一生懸命やる。ものすごい努力家でハートも強い。これから一番大変な時期だろうけど、ようやく世界が見えてきてるよ」
と意気込む。
既にトレーナーとしてのキャリアは30年以上。田中が考えるボクサーの素質とはなんだろうか。
「スターになれるのはほんの一握り。ボクシングセンス、才能が元々ないとやっぱり難しいね。でも色んなタイプがいるから全く才能がなさそうに見えても、実は奥に秘めているだけという、2段式ロケットや隠れたターボを持ってる素材っていうのがいる。トレーナーとして俺はそういう奴に結構しびれる。人間って最初の一歩だけじゃ分からない、そこがまた面白い」
さらにこうも付け加えた。
「でも、どれだけ才能があってもボクシングをメインにした生活ができて、体調管理、節制生活ができないとモノにはならない。体重制限があるボクシングほど命を削るスポーツはないから、練習をさぼったり地道な努力ができないとね。才能とメンタルのバランスが揃って初めてボクサーとして大成できる」
ボクサーという幹となる素材に、トレーナーは深い洞察力を持って個性を見抜き、適所に水をやり枝を付け花を咲かせていく、まさに二人三脚の作業。田中はボクサーとトレーナーの関係をそう表現した。
年間20〜30人の選手を見ている。人生で一番体力のある年代の若者たちと接していることが楽しい。これからは色の付いていないまっさらな状態の選手をゼロから育てたいとも思っている。
最近の課題は「言葉」だ。確かに田中の経験則から紡ぎ出せれる言葉の数々には説得力がある。
「試合中、自分ができることは言葉をかけることだけ。だから言葉だけでボクサーを操れるトレーナーになりたいんだよね。それが俺が考える理想のトレーナーだと思うから」
と言う。
最近、腎臓の調子が良くないらしい。ミットを持って1日に何人もの選手のトレーニングに付き合うトレーナーの仕事は想像以上のハードワークだ。それでも田中はこの仕事を辞めるつもりはないと言い切る。
「天職だからね。自分が生きられる世界を見つけられて本当に幸せですよ。ここまで来たら自分に対する意地だから、透析を受けながらでもやるつもり。世の中には死んで後悔する奴もいるんだろうから、俺の場合、ボクシングで死ねれば本望ですよ」
そんな熱い思いを胸に、先生とボクサーたちの二人三脚は当分終わりそうにない。
[取材・文:野口弘宜]


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