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トレーナー紹介

トレーナー
それぞれに合ったスタイルを身につけさせる
各々の選手が持っている良い部分を見極め、伸ばし、試合に勝たせること。それが僕の仕事ですね

阿部 弘幸 Hiroyuki Abe

阿部 弘幸

TrainerColumn

阿部弘幸トレーナーは、角海老ボクシングジムに所属し、第17代日本ミニマム級チャンピオンにもなった元プロボクサー。タイトルまで獲った現役時代の経験はトレーナーになってからも活きていると言う。 「選手の気持ちになって考えることができるし、選手にとってトレーナーがどういう存在なのか、そしてその重要性も理解できます。また、現役時代に素晴らしいトレーナーたちに指導を受けた経験も役だっています」

阿部 弘幸

岩手県山田町で生まれ育ち、兄が自衛官だったことから高校卒業後は航空自衛隊に入隊。しかし、元来団体行動が苦手な阿部氏は「上下関係や組織の規律を重んじる自衛隊の生活にはなじめなかった」。家族の反対を押し切って2年後に除隊して20歳の時に上京。都内のガソリンスタンドで正社員として働く生活を送る中で、ボクシングに出会った。

「叔父がよくボクシングやプロレスをテレビで見てて、子供の頃から格闘技が好きでした。岩手の頃はジムもないし、考えもしなかったんですけど、東京に出てきたら近くにジムがあって、最初は気軽な気持ちでボクシングを始めたんです」 入門後に早速スパーリングをやらされた。相手はプロのボクサー。「思い切り打っていいよ」と言われ、意気込んで挑んだが、どうやってもパンチが当たらない。

「もう悔しくて悔しくて。すぐ目の前にいる相手にパンチがかすりもしないんだから。これはそんな甘い世界じゃないと思って、真面目に練習するようになりました」

阿部 弘幸

子供の頃から野球やサッカーなど団体スポーツが苦手だったという阿部氏は、究極の個人競技とも言うべきボクシングの魅力に次第にのめり込み、自然と「プロ」の道を考えるようになった。より環境の整った大きなジムを求め、角海老ボクシングジムに入門、「徐々に自分が強くなるのが分かるし、面白くて仕方がなかった」。

1年間の練習生を経てプロテストにも無事合格し、順調にキャリアのスタートを切ったかに見えたその矢先、プロの洗礼を受けることになる。「デビュー戦は突然決まったんです。1週間後の試合にキャンセルが出て『誰かやる奴いないか』っていうことで僕が手を挙げた。それもトレーナーに相談もせずに。ほんと強くなったつもりでいたんでしょうね、ジャブをよけるくらいしかできないのに…。リングに上がったらガチガチで、やはり結果は見事1回KO負けでした(笑)」
その後はキャリアの階段を少しづつ登り詰め、19戦目で日本ミニマム級の暫定王者になっていた阿部氏は、正王者・鈴木誠選手に挑戦して6回負傷判定で勝利、ついに日本タイトルを獲得した。31歳だった。「やっぱり嬉しかったですよ。自分の中では最低ラインの目標をクリアしたわけですから。地元でニュースになったりして、達成感も安堵感もありましたね。」
 ところが喜びも束の間、2度目の防衛戦で小熊坂諭選手と対戦するも判定負け、半年で王座陥落する。阿部氏は当時の心境をこう述懐する。 「試合は5、6ポイントの大差で負けました。全く自分の思う通りのボクシングが出来なくて…。100%の実力が見せられないということは、応援してくれてる方たちにも失礼なことだし、だったらこれ以上続ける意味がない、即引退を決めました。」

阿部 弘幸

 こうして7年間の現役生活を終えた阿部氏は「引退後はほかの仕事も考えましたが、やっぱりボクシングが好きなんでしょうね。昔から飽きっぽい性格で、今までの人生の中で、ここまでひとつの事に打ち込んだのはボクシングぐらい。選手では自分が納得できるところまでやったから、今度はチャンピオンを育ててみようって」と、角海老ボクシングジムのトレーナーに転身。

「トレーナーは縁の下の力持ち、目立つのは選手だけでいいんです。とにかく怪我をさせないように、各々の選手が持っている良い部分を見極め、伸ばし、試合に勝たせること。それが僕の仕事ですね。」



-プロフィール-
生年月日:1970年11月28日
出身地:岩手県
ボクシング歴:8年
獲得タイトル:日本ミニマム級王座
トレーナー歴:2002年~
担当した代表的な選手:小國以載、藤本京太郎、イーグル・デン・ジュンラパン、大内淳雅
好きなボクサー:リカルド・ロペス
指導方針:選手の良いところを伸ばし、それぞれに合ったスタイルを身につけさせること。
目標:インでもアウトでもしっかりできるオールマイティーな選手を作ること

[取材・文:野口弘宜]

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