「サラスにはゼロからボクシングを教わりました。何人かをまとめて合同指導するんですけど、基礎を徹底的に反復する。まるで毎日が合宿ですよ。厳しかったけど、選手を盛り上げるのもうまい。自分がトレーナーになった今、サラスの指導法を思い出して参考にすることがよくあります」
初めてのタイトル挑戦は13戦目。鈴木誠選手と空位の日本タイトルを争ったが、判定負けを喫する。その後、19戦目で暫定王者となっていた阿部氏は、正王者・鈴木選手と再度戦い、6回負傷判定で見事リベンジを果たして勝利、ついに日本タイトルを獲得した。31歳だった。
「やっぱり嬉しかったですよ。自分の中では最低ラインの目標をクリアしたわけですから。地元でニュースになったりして、達成感も安堵感もありましたね」
ところが喜びも束の間、2度目の防衛戦でミニマム級現日本王者である小熊坂諭選手と対戦するも判定負け、半年で王座陥落する。阿部氏は当時の心境をこう述懐する。
「試合は5、6ポイントの大差で負けました。全く自分の思う通りのボクシングが出来なくて……。100%の実力が見せられないということは、応援してくれてる方たちに失礼なことだと思ったんです。だったらこれ以上続ける意味がない、即引退を決めました」
こうして約10年の選手生活にピリオドを打った阿部氏に角海老ジムの田中栄民チーフトレーナーはこう声をかけたという。 「トレーナーやれば」。
引退後、休養を兼ねて阿部氏は半年間考えた末、田中氏の誘いを受け指導者になる決意をする。
「ほかの仕事も考えましたが、やっぱりボクシングが好きなんでしょうね。僕は昔から飽きっぽい性格で、そういえば今までの人生の中で、ここまでひとつの事に打ち込んだのはボクシングぐらいなんですよね。選手では自分が納得できるところまでやったから、今度はチャンピオンを育ててみようって。トレーナーは縁の下の力持ち、目立つのは選手だけでいいんです。とにかく怪我をさせないように。後はそれぞれの良い部分を伸ばしてあげて、試合に勝たせてあげることが今の僕の仕事ですね」
プライベートでも2005年11月22日には妻暢子さんとの間に待望の第一子・長男の至恩ちゃんが生まれたばかり。公私共々充実した中で、「チャンピオンを作る」という新たな夢に向かって阿部氏は第二のボクシング人生を着実に歩み始めている。(取材・文:野口弘宜)
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