普段は冗談が好きな脳天気なシャーなのだが、その背景には日本では想像が付かないような途上国特有の現実がある。シャーによれば、生まれ育ったスラム地区にはたくさんのボクシングジムがあったという。それは、スラムで生き抜くために拳の強さが求められるのと同時に、ボクシングが厳しい生活の中で唯一のエンターテイメントとして根付いているからだとシャーは言う。だが、いくらボクシングが根付いていても、そこはボクサーにとっ てボクシングに集中できる環境とは言えない。
「路上にロープを張っただけのリングで戦うだけ、もちろんバンテージなんてないし、ブローブはものすごく薄いんだよ。そんな中でボクはずっとボクシングをやってたんだ。15歳くらいかな、ボクシングを真面目にやるようになったのは。だんだん強くなってきて、地元の鉄道会社がスポンサーになってくれて、アマチュアの試合に出るようになったんだ」
「そんな路上のリングの中でシャーはメキメキと頭角を現し、数々の国際大会を連覇、ついにはパキスタン最強のアマチュアボクサーに成長する。オリンピックでメダリストになったことから国からは英雄として称えられ、2軒の家と土地を提供され、スラムからも抜け出すことができた。まさにボクシングが生んだサクセスストーリーである
その後シャーはスーパーミドル級のプロボクサーとして海を渡り、アメリカで1年間、イギリスで2年間を過ごした。戦績は4勝2敗で終わったが、イギリスでは元世界ヘビー級王者のあのレノックス・ルイスと同じジムでトレーニングしたという。
「レノックス・ルイスは強かったねえ。一緒に練習ができたのは良い経験だった。でもやっぱり自分はずっとアマチュアの3分3ラウンドに慣れてたから、プロは難しかったな」
と振り返る。引退後は帰国して悠々と暮らしていたが、ひょんなことから角海老ジムと出会うことになる。
「たまたま10年ぶりに連絡が取れた友人が東京にいて、それで観光に行くことになったんだね。友人が下町を案内してくれた後、角海老のジムの前を通りかかったんだ。おお、ボクシングジムがあるじゃないかってことで少し見学したら鈴木会長がいて、それで自分の事を話したら『だったらうちでトレーナーやらないか』って話になっちゃった」
偶然が重なり合って日本でトレーナーとして生活することがとんとん拍子で決まった。なんとも運命的と言うべ きなのか。シャーは語る。
「もしボクシングがなければ、たぶんボクはマフィアにでもなってたと思う。それと角海老ジムには心の底から感謝してる。角海老ジムとの出会いがなければ、今のボクはないから。ボクの妻と息子3人が何不自由なく今こうして暮らせている。それはすごく幸せなこと。息子たちにボクが経験したような思いはさせたくないからね。だからボクは全力でこのジムに恩返しがしたいと思ってるよ」
試合会場で懸命になってシャーが選手を応援するのも、そうした気持ちの裏返しなのだろう。そんなことを考えながら取材を終えようとすると、シャーが突然ため息をついてうなだれる。
「でも最近は試合が近い選手が多すぎて疲れたよ。ミット、ガンガン打たれてる。ああ、今日もこれから本望のミット持たなきゃいけない。もうボクは死んじゃうかもしれない」
そう言ってシャーは大きな体をゆっさゆっさと揺らしながらジムへと戻っていった。まったくもって愛すべきキャラクターの持ち主、我らがシャーなのである。 (取材・文 野口弘宜)
⇒TOPへ