「今思えばプロに転向した後、調子こいて遊んでばっかりだったからバチが当たったのかな。そりゃあその時はショックでしたよ。自暴自棄になっちゃって、山梨帰ってまたヤンチャな生活に見事逆戻り」

将来が期待されたボクサーだっただけに自暴自棄になるのも無理はない、その時の田中の心情は察するにあまりある。しかし、そのまま腐っていても人生は先に進まない。どうしてもボクシングが諦めきれなかった田中は、茨城県藤代にあった友人が所属する小島工芸ジムを訪ねる。それが現在の指導者の道へと進む足がかりになるとは田中自身も思っていなかった。

「ジムに遊びに行ったら、まあみんな練習してるわけです。自分はボクシングはできないけれども、曲がりなりにもそこそこ行ったボクサーだったから、選手にちょこちょこアドバイスしてた。その時はトレーナーになろうとは思っていなかったけど、選手たちが『有り難うございます!』って感謝してくるんだよね。あれ、なんだこれって。今まで人の役に立つような事はしなかったから、感謝されたり、尊敬されたりっていうことが新鮮で気持ち良くって、それでこういう道もあるのかなって思い始めた」

ボクサーがだめなら世界チャンピオンを俺が作ってみせる。トレーナーを真剣に志し始めた20歳の時に小島工芸ジムから選手、スタッフが大塚に新しくできた角海老宝石ボクシングに移籍することになった。角海老ジムでは新人王、世界ランカーを何人も送り出した。途中、都内の様々なジムを転々とした時期もあり、その間も日本王者を2人育ててエディタウンゼント賞も受賞、トレーナーとしてのキャリアを着実に積み上げていく。

「終わりなきボクサーとの二人三脚」

7年前、スタッフなど新体制を整備する際のチーフとして角海老ジムに帰ってきた。

「やっぱりここは自分のキャリアの出発点だから思い入れがある。日本チャンプはもう何人も作ったけど、まだ世界は獲ってないだんよね。どうにかして自分の手で世界チャンプを育てたい。そういう意味で本望には期待してる。よく走るし、トレーニングも一生懸命やる。ものすごい努力家でハートも強い。これから一番大変な時期だろうけど、ようやく世界が見えてきてるよ」

と意気込む。
既にトレーナーとしてのキャリアは30年以上。田中が考えるボクサーの素質とはなんだろうか。


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