2023-07-18
7月1日、東京・後楽園ホールに懐かしい光景が戻ってきた。入場時、応援団が花道をつくり、選手をリングに送り出す「のぼり」の列だ。去る5月23日、東日本ボクシング協会の理事会で解禁が確認されてから1ヵ月あまり。知る限りでは、この日が解禁後の初お目見えだったはずである。
のぼりを背にリングインする中川健太(7月1日)
コロナ禍で無観客開催から客入れ制限、声出し禁止など、長らくプロボクシングもさまざまな制限を受けてきた。言うまでもなく観衆が生み出す応援の熱は、あらゆる競技において欠かせない要素のひとつ。選手たちを後押しし、より以上のパフォーマンスを生み出すこともある。
2月以降、マスクを着用しての声出しが解禁になり、5月8日からはマスク着用が任意になるなど、少しずつコロナ前の試合会場の姿に戻りつつある。久しぶりの熱気の中で戦う選手もいれば、コロナ下でプロデビューし、初めて歓声の中で戦う選手もいる。彼らは今、どのような感情を抱きながら戦っているのか。選手たちの声を集めた。(船橋真二郎)
■「気合いが入って、テンション上がった」(鯉渕健)
鯉渕はリングにダイブして勝利を喜んだ(7月1日)
セミセミのウェルター級8回戦でジェ・ファングク(韓国)を5回TKOで下し、半年ぶりに再起を飾った前東洋太平洋&WBOアジアパシフィック同級王者の豊嶋亮太(帝拳)、メインのWBOアジアパシフィックS・フライ級タイトルマッチで無敗挑戦者の白石聖(志成)を判定で退け、2月に獲得した王座の初防衛に成功した王者の中川健太(三迫)、7月1日の後楽園ホールでは計3人の選手がのぼりの中を入場した。
第2試合のS・フェザー級8回戦。先陣を切って、のぼりと激励の間を通り抜け、リングに向かったのは日本ライト級1位の鯉渕健(横浜光)だった。元日本ランカーでパワーのある遠藤勝則(角海老宝石)を6回でストップし、過去1敗1分と分の悪かった相手に雪辱。雄叫びを上げ、リングに体を投げ出してダイブする、おなじみの“勝利のセレブレーション”で喜びを表現した。
「(久しぶりののぼりは)すげえ、気合いが入って、テンション上がりました。やってやるっていう気持ちになります」と力を込めて振り返った鯉渕。が、そんな気合いとは裏腹に、武器の強打を振りかざし、ワイルドでアグレッシブに戦う鯉渕らしさは影を潜めた。
遠藤はキャリア唯一のKO負けを喫した相手。その後にフルラウンドを戦い、引き分けてはいるものの、初対戦で痛烈に倒された記憶を「体が覚えているのか、ビビッて、消極的になった」という。「いつも以上の緊張」があり、苦しい試合だったからこそ、「勝った瞬間の歓声は、一生忘れられないぐらい気持ちよかった」の声に実感がこもった。
バルコニーに掲示された鯉渕の横断幕には「のぼりや横断幕の注文は……」とさりげなく宣伝が入っていた。聞けば、「KO STYLE」のブランドでカスタムオーダーのトランクスやガウン、のぼりや横断幕などを制作しているライトスタイル株式会社は、以前まで働いていた職場。ホール一番手に相応しい選手だったのかもしれない(?)。
トランクスを示し、「(KO STYLEと)一緒にチャンピオンになるのが目標です」と鯉渕。最強挑戦者決定戦出場の権利を有するライト級か、この試合がテストマッチの意味合いもあったS・フェザー級で上を目指すのか、石井一太郎会長と話し合う。
■「あ、これだな、気持ちいいなって感じた」(田中恒成)
田中恒成の入場シーン(5月21日)
東日本ボクシング協会がのぼりの解禁を確認する2日前の5月21日。名古屋・パロマアリーナ瑞穂でのぼりの中を颯爽と入場してきたのは、元世界3階級制覇王者の田中恒成(畑中)だった。のぼりは後楽園ホール以外の会場、その他の地区では昨年からすでに解禁になっていた。
田中にとっては声出し解禁後、初のリング。試合前には実況のCBCテレビアナウンサーが音頭を取り、2階席に陣取った鉢巻きにはっぴ姿のおなじみの応援団が先導し、観客と一緒に久々の「コウセイ・コール」を予行演習する念の入れようで、ヒーローの登場を待ちわびた。
IBF・S・フライ級王者のフェルナンド・マルチネス(アルゼンチン)を想定し、田中より10cmほど身長の低いパブロ・カリージョ(コロンビア)を迎えた“世界前哨戦”に最終10回TKO勝ち。「最後のパンチは狙っていた」という鮮やかな右カウンターでよろめかせ、見事にストップした。
3年5ヵ月ぶりの歓声の中での試合について尋ねると「俺、入場のとき、あ、これだな、気持ちいいなって感じました」と田中の声のトーンが上がった。「なくしてみると感じるものですね。当たり前じゃなかったなって」。
3月に行なったフィリピン合宿のテーマのひとつが「いろいろイレギュラーなことが起きる環境で、自分のやることをブレずにやり続けて、実際のパフォーマンスとして出せるように取り組むこと」。その成果もあったのだろう、これまでなら「たくさん人が見ているから、めちゃくちゃ盛り上げなきゃとか、どうしても思っちゃうんですけど、最後まで集中して自分のボクシングができた」という。「本当に嬉しかった」という「コウセイ・コール」や歓声にも“バランス”を崩すことはなかった。
ボディーが効いたと見るや徹底して腹を攻め、相手を切り崩してきたのが田中だった。ずっと取り組んできた接近戦のディフェンスに進境を示した昨年12月のヤンガ・シッキボ(南アフリカ)戦にしても、途中から攻撃の比重は下に大きく傾いた。今回は田中の左ボディーで早くも4回に上体がくの字になったカリージョに対し、丁寧にパンチを散らした。
その点を問うと「もっとレベルが高くなったら、ボディーが効いたからって、下だけを狙ってもブロックされるので。分かってはいても、今まではボディーに行っちゃってたんですけど、警戒してガードを下げているところに上でダメージを与えて、また下を攻めたりとか、『チャンスだからこそ冷静に』ということはすごく意識してました」と答えた。
「派手なピンチもなく、喜怒哀楽も少なく、落ち着いて、今日という日が終わったかなと思います」と冗談めかしながら、笑顔で試合を総括した田中。4階級制覇での世界王者返り咲きに向け、準備は着々と整っている。
■「憧れてきたプロボクシングは歓声の中でやる舞台」(松本圭佑)
松本はプロ8戦目で元王者の佐川を破り、日本王者に(4月18日)
コロナ禍真っ只中の2020年8月24日にデビュー。プロ8戦目、4月18日に迎えた初の日本タイトルマッチが声出し解禁後の初試合になった松本圭佑(大橋)。前日計量後、話を向けると思いのたけを話してくれた。
「ボクシングを始めるきっかけになった大橋(秀行)会長に連れて行ってもらった試合とか、僕がずっと憧れてきたプロボクシングはワーっていう、すごい歓声の中でやる舞台だったので。やっと、その中でできるんだっていう嬉しさがあるし、すごく楽しみです」
会場に充満する「ドカーンっていう盛り上がり」への憧憬とともに自ら思い入れを語ったのが「のぼり」だった。
「僕が今でも思うのは(声出しが)解禁されてからもないじゃないですか。みんながのぼりを持って、ワーっていう中を入場するのが。それこそ、僕が小っちゃい頃、八重樫(東)さんが入場してくるとき、みんながのぼりを持っている花道に行って、『頑張ってください!』ってやるのが思い出としてあるので。それがないのは寂しいですけど」
翌日の佐川遼(三迫)との日本フェザー級王座決定戦。高い集中力で試合に入った若きホープは、鋭い左ジャブを軸に序盤戦を支配した。ところが松本が「スタミナが折れかけた」と吐露し、父の松本好二トレーナーが「くちびるも真っ青になっていたので、代わってやりたいぐらいだった」と振り返った中盤。距離を詰め、ボディー攻撃を中心に反転攻勢に乗り出した元王者の佐川の前に潮目が変わりかけた。
松本を踏みとどまらせたのは、チーフセコンドにつく父の声、そして、「耳に届いていた」というリングサイドの大橋会長、井上尚弥(大橋)の声だった。「あらためて、すごい環境でやらせてもらってるなと感じました」。これも解禁後だったからこそ、聞こえてきた声である。
「試合以上の経験をさせてもらっている」と話していた井上とのスパーリングの記憶も大きな力になっただろう。終盤は足を使ってテクニカルに佐川をかわし、判定勝ちで父と同じベルトを巻いた松本。8月30日に予定される初防衛戦では、幼い頃からイメージしてきた舞台が待っているに違いない。
■「声援あり、なしで結果も変わっていたかもしれない」(飯村樹輝弥)
婚約者の山下真成美さんとともにベルトを巻いた飯村(7月1日)
応援合戦が熱を帯び、タイトルマッチの雰囲気を大いに彩ったのが7月1日のセミファイナル。日本フライ級王者の永田丈晶(協栄)が飯村樹輝弥(角海老宝石)を挑戦者に迎えた初防衛戦だった。
同い年の両者はアマチュア時代に対戦し、高校最後の国体では優勝した永田が勝利したが、大学ではリーグ戦、全日本選手権で飯村が通算3勝。そんなライバル関係に加え、ともにコロナ下でデビューし、両サポーターを含めたフレッシュな顔合わせが対決ムードをより盛り上げたのかもしれない。
試合前から「ジョウスケ・コール」と「ジュキヤ・コール」が交錯し、ボルテージが高まる中でゴングが鳴った試合は白熱した。両者がリングに描くシーソーゲームを追いかけるように声援が高まり、その熱量に呼応するかのように両者が激しくしのぎを削った。試合終了ゴングまで熱戦は続き、接戦を2-0の判定でものにしたのは飯村だった。
「これが自分が小さい頃から観ていた後楽園ホールの試合だなと感じました」
飯村もまた初のタイトルマッチが声出し解禁後の初めての試合だった。入場する前から盛り上がりを見せる応援合戦の声に「両陣営が熱くなってくれて、なおさら自分も燃えた」と奮い立ち、入場時には赤地に「樹輝弥」のネームプレートで真っ赤に埋め尽くされた応援席を見て、「こんなに自分の仲間、応援団がいるんだと再確認できて、自信を持って試合に臨めた」という。
試合中もほとんど途切れることのなかった声援が「毎ラウンド、負けたくないと気持ちを強くしてくれました」と飯村。昨年10月、エスネス・ドミンゴ(比)に6回TKO負けでプロ初黒星を喫してからの再起戦でもあり、試合後のリングでは「まず復帰できたことを嬉しく思います。おごることなく、今後も精進していきます」と殊勝にコメントを残した。
普段から練習に寄り添い、この日はサブセコンドにも付いた元アマチュアボクサーで婚約者の山下真成美さん、コンビを組む西尾誠トレーナーをはじめとしたジムのサポートはもちろんのこと、あらためて応援の力を実感したと感謝した。
「もし、コロナが長引いて声援がなかったら、気持ちが切れていたかもしれないし、動画を見返しても、声援あり、なしで結果も変わっていたかもしれないと思います。最後まで気持ちを切らさず戦い抜くことができたのは、たくさんの応援のおかげです。これからもチームで高みを目指したい」
■「ボクシングが帰ってきた」
「お祭りみたいな雰囲気が好き」と大久(7月14日)
7月8日、東京・エスフォルタアリーナ八王子で行なわれた4回戦。佐藤友規(パンチアウト)とのダウン応酬の攻防を右アッパー一撃による最終4回TKO勝ちでフィニッシュ。無傷の4連勝(3KO)を飾った中島海二(八王子中屋)はリング上でインタビューに答え、こう力説した。
「(応援の声は)めちゃくちゃ聞こえてました! 最高です! 自分は、ボクシングは個人スポーツじゃなくて、チームスポーツだと思っています。みなさんの応援を含め、チーム一丸となって、もっともっと強くなっていきますので、これからも八王子中屋ジムの応援をよろしくお願いします!」
2021年7月のプロ転向から丸2年が経った7月14日、初のメインに「序盤で倒そう」と燃えていたという日本フェザー級14位の大久祐哉(金子)。最終8回、タイミングのいい右を決め、粘る佐藤諄幸(厚木ワタナベ)をふらつかせると左右をまとめたところでレフェリーがストップ。劇的な幕切れに応援席は総立ちになり、大歓声と大きな拍手に包まれた。
すでに3月31日、大保龍球(神奈川渥美)との激闘に僅差で競り勝ち、日本ランク入りを決めた前戦で大声援の後押しを受けていた。4回、左フックを効かされると火がついたような「ユウヤ・コール」が巻き起こり、窮地を乗り切っての勝利。4ヵ月前は約80人だった応援団が今回は約100人に増えたという。
「(応援の声で)大学のリーグ戦はお祭りみたいな感じになるんですよ。僕はそういう雰囲気が好きで『よっしゃ!』となるタイプなので力になります」。入場時、のぼりはなかったものの、花道の左右にズラリと並んだ応援団に迎えられ、「あれで気持ちが盛り上がりましたし、めちゃくちゃパワーが出ました」と笑みを浮かべた。
昨年4月、当時のWBO世界ミニマム級王者、谷口将隆(ワタナベ)に挑戦も体重超過。半年のライセンス停止期間を経て、6月12日に再起した石澤開(M.T)。元世界ランカーのジェイセヴェー・アブシード(比)に痛烈なダウンを喫するも、持ち前の強打で5回に倒し返し、逆転TKO勝ちで戦線復帰を果たした。
石澤が「帰ってきた」と感慨を覚えたのは、控え室のある4階でウォーミングアップをしたり、出番を待つ間、階上の歓声が階下まで響いてきたときだったという。
「帰ってきたというのは、自分が復帰できたこと、歓声が戻ってきたこと、両方の意味です。ボクシングが帰ってきた。そう感じました」