角海老宝石ボクシングジム

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遅れてきた男、酒井大成 2年かけてつかんだ1勝の重み

  
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2018-11-30
あす12月1日、2勝目を目指し、東京・後楽園ホールのリングに上がるボクサーがいる。プロデビューから、2年かかった初勝利もすんなりとはいかなかった。

◇初勝利はアクシデントを越えて
 7月9日、後楽園ホールで行われたスーパーバンタム級4回戦の2ラウンド。予期せぬアクシデントが試合を動かした。レフェリーがブレークをかけた直後、一方のサウスポーのボクサーが勢い余って左ストレートを打ち下ろす。これをまともに食った一方のボクサーは、ばったりとキャンバスに這った。痛烈な“ダウン”。明らかにダメージは深いと見えた。

 しばらくの休憩の後、試合は再開する。恐縮しきりの相手に笑いかけ、グローブタッチに応じると、ボクサーは一転、猛然と攻めかかる。最後は体ごと投げ出すような右フックだった。アゴにねじ込まれた強烈な一撃で、正真正銘のダウンを奪い返す。即座にレフェリーがストップ。弾けるようにリングに飛び込んできたトレーナーと抱き合い、喜びを分かち合った。

 控え室前の通路。頬を上気させた22歳は「長かったです。ホッとしました」と勝利を噛みしめた。


◇勝ちたい思いと、勝たせたい思い
「すごくいいものを持っているんで、注目していてください」

 酒井大成(角海老宝石)というボクサーを知ったのは、その1ヵ月ほど前。取材で訪れていたワタナベジムに奥村健太トレーナーと出稽古に来ていたときだった。それも立て続けに2度。奥村トレーナーに話しかけると、返ってきたのが、この言葉だった。

 聞けば、ここまで3敗1分。スパーリングパートナーには事欠かないはずの角海老宝石ジムだが、普段の力を出し切れない酒井に、より緊張感のある出稽古で“場慣れ”させたいという狙いがあった。酒井は今回から担当になった奥村トレーナーに朝練を直訴。マンツーマンで朝夕2回のジムワークに日々、励んでいるという。

「勝ちたい」。「勝たせたい」。それぞれの思いが、ひしひしと伝わってきた。


◇頑張っているのは、誰もが認めていた
 さすがに4戦目にTKO負けしたときは「ダメや、オレは向いてないんじゃ……」と頭が真っ白になり、心がくじけかけた。

「絶対にやめるな! お前は絶対に勝てるから、あきらめないでやれ!」

 試合直後、熱い言葉で心を揺さぶり、その場で「もう1回、奥村と頑張れ」と出直しを勧めたのは、鈴木眞吾会長だったという。

 鈴木会長が振り返る。

「ひとりで東京に出てきて、頑張っていたし、勝たせないまま帰すわけにはいかないから」

 控え室前で酒井に話を聞いていると、出入りするジムメートたちが入れ替わり、立ち替わり、祝福し、ひとりのジムスタッフは「こいつ、すっげえ、頑張ってるんですよー!」と、本人に代わって、アピールした。

「出稽古に行かせてもらったおかげか、落ち着いてできた」と酒井。ブレーク後の加撃で倒されたときも「焦りはなかった」という。

「奥村さんはすごく熱い方で、自分みたいな4回戦でも手を抜かずに教えてくれて……最高です」

「自分のことのように嬉しかった」と、目を細めた奥村トレーナー。2017年1月、試合中の不慮の事故により、志半ばでリングを去らなければならなかった30歳。ボクサーの思いは、きっと人一倍、理解している。

 あるトレーナーが以前、「選手それぞれ、思いを乗せてボクシングをやっているので、タイトルマッチでも、4回戦でも、どんな試合でも勝たせたい気持ちは変わらない」と言っていたことがあった。

 選手の思い、周りの思い、もちろん、それは対戦相手もまた同じ。あらためて、1勝の重みを教えられた思いだった。


◇小学4年で始め、19歳で上京
 酒井は山口県下関市の出身。父親に勧められ、『下関ボクシング同好会』でグローブを握ったのは、小学4年のときだった。低学年のころ、同級生たちにからかわれ、泣いてばかりいたという少年は、プレハブ小屋のような練習場で心を強くした。大きな出会いがあった。会長に連れられ、新日本徳山ジム(現・新日本陽明ジム)に練習に行ったときだ。初めて見るプロのスパーリングに「すげえ!」と目を奪われた。

 当時の看板選手だった青空西田は、強打とスピードを併せ持った日本ランカー。トップレベルの動きが、並行してサッカーに打ち込んでいた少年をぐいっと引き寄せた。以来、下関のジムに来て、練習を見てもらうなど、「師匠」と呼ぶ西田さんとは、今も親交が続いているという。

 小学6年のとき、後楽園ホールで開かれた第1回U-15ボクシング全国大会に予選を勝ち抜いて出場。中学3年まで4年連続出場し、勝つことはできなかったが、北九州の高校ボクシングの名門、豊国学園高校からスカウトされた。内申点が足らず、特待生の推薦を受けられなかったのはご愛嬌。それでも「将来はボクシングで生きていく」と心に決めていた酒井は、苦手な勉強に励み、一般入試で進学する。

 元WBA世界スーパーフライ級王者、鬼塚勝也の恩師でもある杉本幸夫先生の薫陶を受け、ハードな練習で鍛えられた。「自分は不器用なんで、教えてもらったのは『アゴ引け、ガード上げろ、手数出せ』だけです」というガッツあふれるファイターは、高校3年のときに国体に出場するなど、11勝1RSC6敗の戦績を残す。卒業後、地元の魚屋で働いてお金を貯め、19歳のときに世界チャンピオンを夢見て、上京した。

「悔しい思いをいっぱいしたし、遠回りした分、得るものも多かったと思ってます」

 プロのリングで拳をまじえてきた相手は、力のある選手ばかり。2度戦った同い年の尾崎誠哉(K&W)は高校時代、ともに出場した国体で同じバンタム級の3位だった。石川春樹(RK蒲田)、三尾谷昂希(帝拳)は今年の東日本新人王になった。勝った松本章(久米川木内)もデビューから2連勝。「やられた相手には、いずれ借りを返してやりたい」と、その悔しさもまた原動力になっている。

「スタートが遅れただけだと思って。これまで以上に頑張って、ここからどんどん結果を残していけたら」

文◉船橋真二郎

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