角海老宝石ボクシングジム

トレーナープロフィール

洪 東植

Hong Dongsik
「ボクサーはリングが舞台。魅せる場所。」
  
「やってきたことを出せば、大丈夫。それで負けたら、俺の責任だから何も気にしなくていい。リングで全部出して」
生年月日
1961-10-12
出身地
韓国
ボクシング歴
10年
トレーナー歴
2002年~
担当した代表的な選手
内山高志(ワタナベ-引退)、田口良一(ワタナベ)、麻生興一(三迫)、小原佳太(三迫)
好きなボクサー
指導方針
「ボクサーは自己管理、プロ意識、謙遜」
目 標
アジアから世界的なスターになったマニー・パッキャオ(フィリピン)のようなボクサーを日本で育てること
「お父さんみたいな人」。2018年8月から角海老宝石ジムの一員となったベテラン指導者は、ジムの選手やトレーナーたちから、こう慕われている。選手を思うからこそ、指導は厳しく、どこまでも熱い。半面、笑顔は柔和で、包み込むような温かさがある。 以前、ともに戦ったことがある選手の話。勝ったときは選手以上に喜び、負けたときは選手以上に悔しがり、悲しむ。いつも「ボクサーはリングが舞台。魅せる場所」と繰り返す洪東植トレーナーは、こんなふうに教え子たちを試合に送り出すのだという。 「やってきたことを出せば、大丈夫。それで負けたら、俺の責任だから何も気にしなくていい。リングで全部出して」
2001年に韓国から来日して20年近く。いくつかジムを渡り歩きながら、数々のトップ選手を手がけてきた。ワタナベジムでは、内山高志、田口良一、柴田明雄、船井龍一、三迫ジムでは、小原佳太、竹中良などなど。請われて特別コーチに就いた選手も数多い。中には元角海老宝石ジムの麻生興一(現・三迫)のように、洪トレーナーのあとを追いかけて、ジムの移籍を繰り返した選手もいるほど。その情熱はボクサーたちを惹きつける。

 内山、田口にボディブローを教え、武器のひとつにしたのは有名だが、それは「面白い試合をしてこそ、プロ」という信念に基づいている。

「もちろんアウトボクシングもいいですよ。俺も『足使って』と教える選手もいます。でも、やっぱりボクシングはファイトですよ。お客さんが見て、面白い。これじゃないですか。切符を買って、すごく期待して観に来る人を『すごい! ウワーッ!』って、沸かせないと」

 定評があるのは接近戦の指導。ただ、打ち合いを提唱しているわけではない。自分のパンチも当たる代わりに、相手のパンチももらう距離でやるからこそ、大切にするのがディフェンスだ。強い気持ち、攻撃の技術だけではなく、同時にガード、頭の位置やポジショニングなど、細かい技術をしっかりと教え込む。

「パンチをもらったら、選手も痛いけど、俺も痛いの。選手が負けたら、俺も悲惨な気持ちになりますよ。だから、選手にこれやって、これやってって、細かいことを全部教えたいです。みんな、『洪さんは厳しい、厳しい』言うけど、厳しくないですよ。教えたことやらない、約束守らない、朝練やってない。それは叱ります。常に俺の子どもみたいに思って、愛情を持って教えてるから。選手もそれを感じてくれてるんじゃないかな」
 1961年生まれ、韓国・釜山の出身。現役時代はトップアマチュアとして活躍し、1980年のモスクワ五輪代表にも選ばれた。当時はまだ冷戦時代。ソ連のアフガニスタン侵攻に抗議したアメリカが先導する形で西側諸国が参加をボイコットすることになり、五輪出場は幻となってしまった。

 15歳、中学3年のとき、グローブを手に入れた友だちと遊びでボクシングの真似事をした。「お前、ボクシングやってないのに上手いな」。何気ない一言がきっかけになった。

 もともと『パンチライン』という韓国のボクシング雑誌に小遣いをつぎ込み、記事や写真をスクラップするほどのボクシング好き。“石の拳”ロベルト・デュラン(パナマ)がお気に入りだった。厳格だった父に猛反対され、「げんこつで殴られたりもした」が、6人兄弟の末っ子の決心は固かった。高校入学後、学校の近くにあったジムで本格的にボクシングを始めた。

 3年生で全国優勝を果たしたときは、のちにプロでWBC世界ライトフライ級王座を15度防衛する“韓国の鷹”張正九にも勝っている。その1979年の12月には横浜で開催された世界ジュニア選手権で準優勝するなど、ぐんぐん頭角を現し、モスクワ五輪代表を決める選抜大会も勝ち抜いたのだが……。

 大学でもライトフライ級からバンタム級まで3階級で全国制覇し、国際大会でも活躍。日韓対抗戦で来日し、後楽園ホールのリングに立ったこともある。

 大学卒業後は一線を退き、地元釜山市の教育委員会で働きながらアマチュアの指導者に転身した。釜山チームを全国大会で団体優勝に導き、市から最優秀指導者として表彰されたこともあったという。来日直前には女子高の体育教師をしていたが「ボクシングはやらないじゃないですか。毎日、ストレスがたまるの。授業が終わったら、ボクシングジムに行って、ストレス発散してました(笑)」。

 家族と離れ、単身来日したのは、大学の聴講生として勉強するためだった。だが、しばらくしてテレビでWBC世界スーパーフライ級王者、徳山昌守(金沢)の防衛戦を目にする。韓国ではテレビ中継がほとんどなくなるなど、勢いを失い始めた時期。「日本ではプロボクシングの人気がまだあるんだ」と知ったら、いてもたってもいられなくなった。

 都内で見つけたジムを訪ね、自身の経歴を話し、ここで教えたいと頼み込むと、紹介されたのがワタナベジムだった。それから日本での指導者生活がスタートし、家族も呼び寄せた。

「やっぱり俺、ボクシングがないとダメだから」
 角海老宝石ジムでは、専任の担当選手も任されているが、全体を見て、アドバイスするのが主な役割。豊富な経験、知識を選手や若いトレーナーたちに伝えている。

 選手との信頼関係を何より大事にする。「彼は運動神経がいいか、基本はできてるか。それは見ないんですよ。素直な気持ちで、真面目に話を聞いてくれるか。で、人の性格も違うんですよ。彼の考えてることを聞いて、彼のことをいろいろ知って、それで彼にはこれがいいかな、あれがいいかな、考えます。それで俺が教えたことをちゃんとひとりでも練習してくれるか。それができないなら、教えられないです」。

 本場・アメリカのリングを席巻し、アジアから世界的なスターになったマニー・パッキャオ(フィリピン)のようなボクサーを日本で育てることが、変わらない夢であり、目標。「日本の選手にも、その可能性はありますよ」と力を込める。

 これからプロボクサーを志す若者には「ボクシングが大好きだから、やろうかな。それじゃダメです」と厳しいメッセージを送る。それでも「しっかり自分の将来のことを考えて、世界チャンピオンになる、絶対に叶えたい。そういう気持ちがあったら、来てください。ちゃんとトレーナーとコミュニケーションを取って、信頼関係をつくったら、大丈夫」。柔らかな笑顔を浮かべて、付け加えた。

ライター:船橋真二郎(2019/04/15)
画像提供:山口裕朗、ボクシングモバイル
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