角海老宝石ボクシングジム

トレーナープロフィール

阿部 弘幸

Hiroyuki Abe
「やるからには最終的には世界」
  
生年月日
1970-11-28
出身地
岩手県
ボクシング歴
8年
トレーナー歴
2002年~
担当した代表的な選手
イーグル・デン・ジュンラパン、小國以載、藤本京太郎、山内涼太、佐藤剛など
好きなボクサー
リカルド・ロペス
指導方針
選手の良いところを伸ばし、それぞれに合ったスタイルを身につけさせること。
目 標
インでもアウトでもしっかりできるオールマイティーな選手を作ること
2016年12月31日、島津アリーナ京都。小林光二、イーグル・デン・ジュンラパン、小堀佑介に続き、ジム4人目となる世界王者誕生の瞬間を「今まででいちばん嬉しかった」と阿部トレーナーは振り返る。 「やっぱり、世界は違いますよね。興奮しましたよ、(現役時代に)自分が勝ったときよりも。今でも鮮明に覚えてますね」  小國以載が挑んだジョナタン・グスマン(ドミニカ共和国)は、22勝22KO(1無効試合)を誇った強打のIBF世界スーパーバンタム級王者。一方で粗さもあるグスマンに対し、狙いを定めていたのが打ち終わりのボディだった。3回にドンピシャの左ボディでダウンを奪うと、我慢の展開が続いた終盤11回には、やや守りに入っていた小國に攻めの指示。再び倒した左ボディはローブローとされたものの、貴重なポイントを奪い、勝利を決定づけた。
 のちに明かされる小國の右手首の古傷も踏まえ、試合前に綿密に立てた戦術、試合中の冷静な指示が見事にハマった、トレーナーとしても会心の勝利。が、まず小國に敬意を表する。

「これがハマればと、言うのは簡単ですけど、実際にやるって、かなり難しいことですからね。小國はそれをやったということです。それも、あの舞台、あのレベルで」

その小國は阿部を「頭のやわらかいトレーナー」と評する。

 たとえば、右ストレートの軌道にクセがあり、どうしても真っ直ぐに打てない選手がいる。直したくなるのがトレーナーの一般的な心理だが、それを生かす逆転の発想も持っているのだという。

「じゃあ、それを当てるために、どこに位置取りするか、どこに体を持っていくのかを一緒に考える。それで俺らが見てて、『B級(6回戦)に行けるかな?』ぐらいの不器用な選手でも、A級(8回戦以上)に持っていきましたからね。それこそ、トレーナーの腕じゃないですか」

 小國自身との関係も「(2013年に移籍してきて)最初に俺がどういう考えを持っているかを聞いて、受け入れてくれて、俺のことを全部わかってくれた上で意見を言い合える」と、柔軟に築かれてきた。

「俺はリスクを考えて、ポイント取ったら無理に行かなくても、というタイプ。だから、グスマン戦の11回の『倒されてもいいから行け』という発想はない。でも、実際は10回終わって俺の1ポイント勝ち。阿部さんの強気な指示があったから勝ち取れたんです。あの大事な場面で意見が食い違っても聞けたのは、俺のことを理解してくれてる人だから。選手の言うことは聞かず、ハナから『こうじゃない、こうしろ』とか言う人なら、聞けないですよ」

 勝因はつまり、ふたりの信頼関係。選手とトレーナーの理想的な関係である。
阿部にも選手時代、大きな影響を受けたトレーナーがいた。近年も井岡一翔(Reason大貴)を日本人初(男子)の世界4階級制覇に導くなど、日本でもおなじみのキューバの名匠イスマエル・サラス・トレーナー。ラスベガスに拠点を置くサラスとは、今でもLINEでやり取りをする間柄という。

 出会いは、伸び悩んでいた6回戦のころ。当時、坂本博之を中心に角海老の選手を見ていたサラスに1年半ほど指導を受けた。基本を徹底的に繰り返すことで知られるサラスだが、阿部の場合も同じだった。

「基本をみっちりやりました。ジャブ、ワンツーとか、やることは簡単なんですけど、それをフルパワー、フルスピードで繰り返すので結構きついんですよ。それまでは一発で倒すパンチがないから、自分でいろいろ考えて、スイッチしてみたり、変則的なタイプだったのが、自然とオーソドックスになりました。まずは基本。基本あっての応用ですから。それがよかったんだと思います」

 サラスの指導は熱く、選手のやる気を引き出すのが上手かったという。その熱に乗せられ、全力で一発一発パンチを打ち込むことで、体幹や筋力も鍛えられ、パンチ力も増した。だが、何より重要だったのは、阿部が自分自身を客観的に見つめる目を持っていたことだ。

「サラスとの練習は強いパンチを打つ分、どうしても単発になる。自分はそういうタイプじゃないんで、(サラスが)見てないところでコンビネーションをサンドバッグでやったり、自分で工夫してやってました。危ないですからね、自分を知っておかないと」

 選手の立場で感じたサラスの指導のエッセンスは、今に生きているという。だが、この冷静な目こそ、トレーナーとしての最大の武器であり、小國の言う、まず選手のことを理解しようという姿勢にもつながるものだろう。

 阿部はその後、3度目の挑戦で日本ミニマム級暫定王座を奪取。王座統一戦で鈴木誠(野口)を下し、正規王者となったが「日本タイトルを獲った時点で燃え尽きていた」。次の2度目の防衛戦で小熊坂諭(新日本木村)に大差判定で敗れ、王座から陥落。この試合を最後に引退を決めた。

 のちにWBC世界ミニマム級王者となるイーグル、そしてサラスの教え子で角海老に練習に来ていたWBA世界ライトフライ級王者のピチット・チョーシリワット(タイ)、世界レベルとのスパーリングで「自分の実力がわかった」という。

「レベルが違うんで、自分には世界はちょっと、と感じて。その時点でダメですよね。でも、最低でも日本は絶対獲ろうと」

高校卒業後、地元岩手で航空自衛隊に入隊するが、規律の厳しい団体生活になじめず、2年で除隊。20歳で上京し、正社員としてガソリンスタンドで働いていたとき、ボクシングジムを見つけたのが始まりだった。

 もともとプロレスなど、格闘技を見るのが好きだった。最初は「健康のため」と軽い気持ちで始めたはずが、いきなりプロとスパーリングをやらされる。「左で軽くしか打たないから、本気で殴っていいよ」と言われ、勇んで殴りかかるが、目の前の相手にかすりもしなかった。

「なんで当たらないんだろう?」

 それからボクシングにのめり込んだ。プロを志し、より自分を磨ける環境を求めて角海老に移ると、24歳のデビューから8年近く、自分を見つめ、対戦相手を見つめ、どう勝つかを追求してきた。一発のパンチがないからと、トリッキーなスタイルで勝負しようと工夫したこともそう。その経験のすべてが生かされている。

「もし、自分にパンチ力があったら、どうしても頼ってしまって、駆け引きとかディフェンスをあまり考えず、攻め、攻めで行ってたと思うんで。よかったのかもしれないですね(笑)」

 古巣でトレーナーの道に入ってから、15年になろうとしている。「やるからには最終的には世界」の目標を小國とともに果たしたが、もちろんまだ終わりではない。

「ひとりだけで満足はしてないんでね。ボクサーはみんな、最終目標は世界じゃないですか。だから、ひとりでも多く獲らせてあげたいですし、最低でもベルトは獲らせてあげたい。そう思っています」

ライター:船橋真二郎(2019/08/02)
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