角海老宝石ボクシングジム

トレーナープロフィール

奥村 健太

Kenta Okumura
全力でサポートし、一瞬一瞬に力を注ぐ!!
  
選手には「一瞬一瞬を大切にしてほしい」と言う
生年月日
1988-07-28
出身地
熊本県益城郡
ボクシング歴
8年
トレーナー歴
2017年~
担当した代表的な選手
細川バレンタイン、アオキ・クリスチャーノ、酒井大成、中嶋憂輝
好きなボクサー
指導方針
個人個人が持っている力を最大限まで引き出す
目 標
チャンピオンを作る
トレーナーに転身して、わずか1年足らず。初めてセコンドについたのは、タイトルマッチという大舞台だった。2017年12月14日、細川バレンタインが日本スーパーライト級王者となったリングを「めちゃめちゃ緊張しました。自分が戦っているような感覚でもあったんですけど、やっぱりセコンドは違いました」と奥村健太トレーナーは振り返る。
 細川にトレーナーに指名されてからは無我夢中だった。早朝からロードワークに付き合い、ジムワークでも徹底的に追い込む。7歳上のベテランを勝たせるため、自分にできる精一杯を注ぎ込んだ。その日々が報われた喜びは想像した以上であり、細川には「こんなに情熱のあるトレーナーはいない」と感謝もされて、決心が固まったという。

「しっかり切り替えないといけないと思いました。経験のない自分を使ってもらっているのに中途半端では申し訳ない。きっぱりトレーナーとしてやっていこうと」
実はまだ現役に未練があった。

 11ヵ月前の2017年1月14日、奥村は角海老宝石ジムに移籍して初戦を戦っていた。だが、8ラウンドをフルに戦い抜いた試合後、急性硬膜下血腫を発症する。集中治療室に入り、幸い大事には至らなかったものの、日本ボクシングコミッションの規定で頭蓋内に出血が見られたボクサーは自動的にライセンスを失う。再出発のリングが最後になってしまった。

 当時、まだ28歳。体もすっかり元気になった。志半ばの思いは、そう簡単には断ち切れるはずもなかった。

「どうしようか途方に暮れましたが、海外でもいいから『もう1回やりたい』というのが正直な気持ちでした。(鈴木眞吾)会長からトレーナーの道をいただいてからも、まだどこかで復帰することを考えていました」

だが、細川から「ふたりでチャンピオンになろうぜ」と声をかけられ、「自分が行けなかった場所に連れて行ってください」と情熱を傾けた経験が、奥村の気持ちを変えていった。

「バレンさんがチャンピオンになって、本当に嬉しかったし、選手が勝つと自分のことのように本当に嬉しい。トレーナーの喜びをバレンさんが教えてくれて、ハマらせてくれました」
熊本県上益城郡益城町の出身。父と兄が空手の有段者で、奥村も物心ついた頃から空手道場に通った。家に帰れば「庭にあったサンドバッグを打ったり、蹴ったりして。休みの日には、お父さんに山に連れて行かれて、お兄ちゃんと走ってました」という格闘技一家に育った。

中学卒業後に就職し、空手から遠ざかった。だが、1年、2年と過ぎるうちに「また格闘技をやりたい」という気持ちが日増しに強くなる。父に相談すると、小柄な奥村に勧めてくれたのがボクシングだった。

最初は気乗りしなかったが、父に連れられて熊本市内のジムに見学に行く。そこで目にしたのが、のちにWBO世界ミニマム級王者となる福原辰弥(本田フィットネス)だった。同世代の若者が練習する姿は「すごくキレイで、テレビで見たような動きをしていて。カッコいいなと思いました」とまぶしく映った。

当時は極真空手が最強だと信じていた。どこかで簡単にできるだろうとタカをくくっていたが、いざ始めてみると思うようにはいかない。

「とにかく動きが速くて、パンチが当たらない。ジムのリングは狭いのに、それでもステップの速さに追いつけなくて。ボクシングはすごいと思いました」

できないからこそ、余計にのめり込み、できるまで練習に練習を重ねた。プロテストに合格し、闘志あふれるサウスポーが2回KOでデビューを飾ったのは20歳のときだった。

2010年、11年と新人王トーナメントに出場。勝利すれば、東京・後楽園ホールで行われる全日本新人王決定戦進出が決まる西軍代表決定戦まで勝ち上がったが、最初の年は大差の判定で敗れ、翌年は引き分け敗者扱い。2年続けて涙を飲んだ。その後、対戦相手は東日本新人王を破り、全日本新人王に輝くことになる。

「ふたりとも西日本新人王の技能賞に選ばれた人。まだまだ強い人がいるなと思いましたし、関西の人はやっぱり違うと思いました」。その悔しさが、さらに自身を駆り立てる原動力だったという。その後、後楽園ホールに2度遠征し、1勝1敗。そして、東京で勝負しようとジムを移籍し、これからというところだったが、奥村は“不運”とは決して言わない。

「リングに上がれば、お互いに自分のすべてを懸けて戦って、やるか、やられるかです。結果は全部、誰のせいでもなく、自分のせいなんです。だから、ボクシングは楽しいし、ケガしたのは自分に力がなかったから。ケガで終わりましたけど、俺はボクシングをやって良かったと思いますし、自分の人生の中で貴重な時間でした。楽しかったです」

トレーナーとしてボクシングに関わる今も、経験のあるジムの先輩トレーナーたちに学び、選手とともに考え、試行錯誤を繰り返す毎日が楽しいという。

「トレーナーの仕事は、選手が気づかないところに気づいてあげること。選手が自分にはできないと思っていることでも、こうやればできるんじゃないか、こうすればどうかと、やり方をいろいろ考えて、できるように持っていくこと。選手、個人個人が持っている力を最大限まで引き出して、行けるところまで押し上げてあげられるトレーナーになりたいんです」

そのためにトレーナーには「冷静な目が必要」と理解はしているが、試合でも、練習でも、「選手と一緒になって、気持ちが入り過ぎてしまう」ことがあるという。「最近、ようやく抑えられるようになってきたんですけど」と苦笑いするが、この熱さが奥村のいいところでもあるだろう。

選手には「一瞬一瞬を大切にしてほしい」と言う。

「みんなが10年できるわけではないし、もしかしたら明日できなくなるかもしれない。ベテランでも、中堅でも、若い選手であっても、1試合1試合、練習の一瞬一瞬に集中して、本当に大切にしてもらいたいです」

奥村もまた選手たちを日々、全力でサポートし、一瞬一瞬に力を注いでいる。

ライター:船橋真二郎(2018/09/05)
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